さようなら余部鉄橋
【兵庫県美方郡香美町香住区余部・10年7月18日】
<橋脚。よく見ると98年間、鉄を塗装で保護してきた質感が…>
<慰霊碑>
1986年12月28日の吹雪の日、列車が落下し 6名の方がなくなった。
<海もとても綺麗です>
<このあたり大好きな山椒をたくさん作っておられます>
<もうすぐペアでなくなります>
<鉄橋は先日7月16日に98年間の歴史を閉じました>
1912年(明治45)年に開通。
鉄橋の高さは41m、長さ310m。
当時は「東洋一の規模」とも言われたそうです。
観光客(鉄ちゃん含む)と工事の人が半々くらいでごった返している余部鉄橋の近況でした~。
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ちゅたさん、こんばんは。
餘部鉄橋も最後になりましたね。鉄道の文化財として残しておいて欲しい気がしますが、保存は一部だけのようですね。20年ほど前に通過したのが最初になります。以来、何度か足を運んで見に行きました。智頭急行が開通して、しばらくした時には、姫路→智頭急行経由→鳥取→城崎経由→姫路という一周旅をしています。
あの事故以来、風速による制限が厳しくなり、それが運休の増加を招いて、結局は新しい橋への架け替えにつながったと思うと、少しさびしい気もします。山陰本線という名称も今は名ばかりで、この辺りは本当にローカルな路線になってしまいましたね。新しい橋が建設されるだけでも、すごいと言わなくてはならないでしょうか。景観は良いのですから、城崎-鳥取の路線が便利になって欲しいです。
投稿: いそしず | 2010年7月22日 (木) 01時29分
いそしずさん、ありがとうございます。
鉄橋の一部のみ保存されるようですね。
鉄材はアメリカ製のようですが、間近で見ると海辺故か分厚い塗装からも98年という歴史を感じました。
列車が来るのを待っていたのですが、1時間以上待ちだったので諦めました。
地元の方にとっては、鉄道も不便ですが道路も不便で、神戸から3時間以上もかかってしまいます。
高速道路なら名古屋くらいまでも行けそうです。
海や山の資源もたっぷりなので、もう少し便利になるといいですよね~。
投稿: ちゅた | 2010年7月22日 (木) 23時00分
ちゅたさん、こんばんは。
餘部鉄橋、ついになくなってしまうのですか?
周囲の景観とも合ってなかなかいい感じなんですけれどもね~。
馴染みの薄い私でさえそう感じてしまうんですから、
昔からこの橋に馴染みのある方や地元の方々、それに鉄ちゃんにとっては
たまらない気持ちがしているのでしょうね...。
写真を拝見していて、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー 3』の
最後の鉄橋をなぜか思い出してしまいました。
鉄材はやっぱりアメリカ製なんですね。
鉄橋と較べると新しいコンクリートの橋はいかにも味気ないです...。
安全であるに越したことはないのでしょうけれど、
長い歴史を刻んだものが消えてしまうのはやっぱりどことなく寂しいものですね。
投稿: Newman | 2010年7月23日 (金) 21時03分
Newmanさん、ありがとうございます。
1986年の悲しい事故を超越して最後のお別れに「…ありがとう餘部鉄橋」ってあるのは、やはり地元に根付いたものなんでしょうね。
密集した家屋の真上に鉄橋があるのは、当たり前で景色にも気持ちにも溶け込んでいる感じで、間近で見るととても大きく、太く、存在感もあるものでした~。
投稿: ちゅた | 2010年7月25日 (日) 08時49分
ご無沙汰してます。
あまるべ、行かれたんですね~。私は最終日(会社サボって!?)に見送りに行ってきました。鉄ちゃんの間では、新橋梁が姿を見せた時点で魅力がなくなったという方も少なくないんですが、いくら並んで立っていても余部鉄橋は壮大ですよ。欲をいえば、後2年、使って欲しかったかなぁと思います。
投稿: まさくん | 2010年7月26日 (月) 12時45分
まさくんさん、ありがとうございます。
あの鉄のかたまりは見応えがあります。
海辺のせいか塗装も分厚くて、丁寧に塗り重ねているように感じました。
この4月には、18切符で浜坂まで日帰りしました。当然あまるべもとおって。
でももう二度と乗れないんですね~。
投稿: ちゅた | 2010年7月26日 (月) 21時50分